「ABOVE 雨城 翠」 掲示板

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よしのさくみがしんだどうしよう - あかまつ

2016/05/06 (Fri) 20:31:53

彼女の蒔いた種を広げられる漫画家が、そもそもいるのだろうかと。

Re: よしのさくみがしんだどうしよう - うじょー

2016/05/07 (Sat) 10:24:34

いるだろう。いるはずだ。
ただしそれは、必ずしも漫画家でなくても良いし、漫画家である必要もない、と思う。
小説家でも、詩人でも、映画監督でも脚本家でも、吉野朔実の蒔いた種子を受け継ぐことはできる。
吉野朔実の描いたマンガは、そーゆー種類の作品だったと思っている。

しかしながら重ね重ね、悲しくて言葉もない。

- あかまつ

2016/04/05 (Tue) 14:56:59

雨が咲き始めに降ったせいか、ほとんど散らずに残った。週末までは持つまいが、しばらく見られそうな。

Re: 桜 - うじょー

2016/04/05 (Tue) 23:23:18

こっちもまだ、満開で残っている。
とはいえ、相変わらず天気がすっきりしないんだが。
道後公園でもう一度、花見がしたいなあ、と言い続けてずいぶん
たつけれど、いまだに実現せず。
今夜帰ればいいだけじゃん、とは
毎年思うんだけどね。

もう七三じゃねえよ - あかまつ

2016/03/13 (Sun) 10:38:13

 ありがとうとしか言えないのは、初めてまともな批評をいただいたからで。
 本来ならば色々と反論もしたいところだけど、このカクヨムってサイトは、章ごとのアクセス数が丸見えなので、読者が「どこで読むのをやめたか」ってのが丸わかりになる。するとたいてい、ご指摘の「説明がくどい」トコと、「戦闘シーンが長い」トコに引っかかることが分かっちゃう。
 自分としては、むしろそのへんが読ませどころと思い込んでいたので、反省点。
 身内はともかくとして、サイトそのものは若い読者さんが多いことも、もっと考えねばと、現在全面改稿中。
 
 重ねてありがとう。

Re: もう七三じゃねえよ - うじょー

2016/03/13 (Sun) 10:58:05

まあ、突っ込んだハナシは、今度会った時にでもするとして、
すでに書いたモノを直すよりは、先に進んでくれた方が
読む方としては、ありがたい気がする。
マンガだって、連載が進むにつれて、絵柄が変わる事はあるじゃないか。
あれと同じで、小説だって、続編とその前とで、語り口が変わるのは
アリじゃないかとオレは思っている。
前に進んで欲しい。

もう七三じゃないことは百も承知だが、種(ゲノス)は年齢が
進んでも、多少外見が変わっても、変化する事はない
と理解したので、その法則に従ったまでだ。

懐かしく・・・ただ、懐かしく 烏城 庵

2014/11/15 (Sat) 07:32:31

おはようございます
雨城さん^^

土曜の明け方、ふと若い頃によく行ったモビーデックはどうなったかと思いPCをカチャカチャ・・・

そして、あなたの「お話の部屋」に漂着いたしました^^;

当時、学生だった私は三番町にあったミスドでバイトしていて良くそこのバイトの笊メンバーと通ったものです

私は、さほどお酒が強い方ではありませんでしたが店の雰囲気や料理の美味しさに釣られ・・・そうそう、今でもはっきりと覚えているのが、大きな貝殻に盛り合わされた「シーフードサラダ」です

今、私も松山を離れ岡山に住まいしています
ふふ・・・っと思ったのが、貴方のお名前でした
まるで、一番町から城山を見上げた風景がよみがえるような^^
加えて、私もウジョウで(__;
(語尾はウで終わりますが)

烏城は岡山城の別名です
岡山城は平城で、やっぱり松山城にはかなわないと思う在住20年の岡山県民の庵です

すれ違った時に肩があたり
懐かしい人に出会えたような
そんなひと時でした

ありがとうございました
素敵なお話しを書いてくれて




Re: 懐かしく・・・ただ、懐かしく - うじょー

2014/11/15 (Sat) 19:28:01

烏城庵さま

雨城 翠でございます。
私のつたないお話を読んで下さったうえ、望外の感想まで頂きまして、ありがとうございます。
たいへん感激しております。

私自身も以前モビーディックのことを、ネットで調べてみたことがありました。
モビーがすでになくなっている、ということはもう知っていましたので、誰かあの頃のあのお店の事を覚えている人が、ブログか何かで触れていたりしないだろうか、と思ったのですが、結果は見事な空振りでした。
その時に感じた、すごくさみしい気持ちが、私に「モビーディックPartII」を書かせたのだと思っています。
フィクションの中であれ思い出話の中であれ、なにかの形であのお店のことを、あのお店が松山のあの場所にあったということを、誰かが残しておかなければならないように思ったのです。

うまくできたかどうかは、非常にココロモトナイのですが...。

あの頃のあの場所を、同じような視点から見ていた方に読んで頂けて、このお話は本当に幸せモノだと思います。
そして、ワタシのお話などとは関係なく、どうかあなたの記憶にあるモビーディックが、いつまでも色褪せずに楽しい思い出でありますように。

ありがとうございました。

ホームページを拝見しました - つねさん URL

2013/05/15 (Wed) 17:20:32

こんにちは。
ホームページを拝見させて頂きました。
素敵なサイトですね。これからも運営頑張って下さい。

お友達がたくさん出来て、投稿に参加する度ごとに直筆のカード式のファンレターが3~30枚以上届く文芸サークル(投稿雑誌)をやっています。
ネットでのやりとりも楽しいですが、ぬくもりが伝わるアナログでの活動は温かい気持ちになり、楽しさや幸せをより感じられます。
イラスト・詩・漫画・小説・エッセイ(あなたの日々の出来事や思っている事)などジャンルを問わず何でも掲載しています。
月刊で150ページくらい。全国に約180人の会員さんがいます。
投稿される作品は新作でなくても構いません。あなたがホームページで発表している作品を雑誌に掲載してみませんか?
東京都内で集会も行っています。お友達や創作仲間作りにご活用下さい。

興味を持たれた方には現在、雑誌代と送料とも無料で最新号をプレゼントしています。
よろしかったらホームページだけでもご覧になって下さい。
ホームページにある申込フォームから簡単に最新号をご請求出来ます。
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/hapine/

Re: ホームページを拝見しました - うじょー

2013/05/19 (Sun) 15:01:18

コメントありがとうございます。
ご紹介頂いたHPを拝見させて頂きました。
しかし、私は紙での同人誌(雑誌)は過去にやったことがありまして
(もちろん部数はうんと少ないですが)、その経験も踏まえて
今のところ、自分のHP以外にお話を発表する意志は持っていません。
せっかくのお誘いなのですが、投稿は辞退させて頂きます。
ご理解下さい。

アメリカの銃規制 - うじょー

2012/07/21 (Sat) 22:48:02

アメリカのコロラド州、デンバーに近いオーロラという町のシネコンでバットマン最新作の上映中に24才の白人男性が銃を乱射し、12人死亡・50人ほどが重軽傷、という事件が発生。
CNNは夜通しで事件の詳細を伝えると共に、事件当時映画館にいた人たちや関係者・有識者からから「銃規制(Gun Control)」についての意見も織り交ぜながら取材を重ね、報道している。

なんども痛い目に遭っているのに、なんでアメリカは銃を規制しないのか。こういう事件が起こるたびに、アメリカ人自身の中からその声を上げる人たちが出てその度に全米ライフル協会が反対して悪者にされるが、結果として規制そのものは遅々として進まない、という構図が続いているように思う。今回もたぶん同じパターンを辿るのだろう。
大昔の「刀狩り」で武装解除されてしまって、いわば武器に対する一種のアレルギーみたいなものがある私たち日本人には、アメリカで展開されているこのパターンがクレイジーでナンセンスな議論にしか見えないのだが(とっとと規制すればいいんじゃん、という意味)、ここにはやはり、彼我の文化の違いがある、と言わざるを得ないと思う。
「アメリカ」と「銃」は、密接に結びつきすぎている。
もともとが、先住民を武力で追い出して分捕った土地だし、
基本的に「自分の安全は、できる限り自分で守る」という意識が強い。
実際に武装するかどうかは個人の自由だから、銃を持っていない人だって現実には山ほどいるが、日本人が「誰もが銃を持てる社会」を嫌うのと同じ感覚でアメリカには「自分が銃を持つことが許されない社会」を嫌う人たちがいる。
感覚としては、日本人に対して「お箸で食事するのは禁止」とか、インド人に対して「カレーを食べるのは禁止」とか、中国人に対して「人が多すぎるのは禁止」と言うのに近いのではないかと思う。

偶然なのだろうが、この事件の1週間ほど前、同じCNNで、事務所に押し入ってきた強盗を、デスクの引き出し(?)から取り出した拳銃を発砲して追い散らしたした年配の男の人
の防犯カメラ映像を話題にしていた。あまり否定的な言い方はされていなかったと思う。

アメリカは、そういうところだし、アメリカ人はそういう文化のベースを持っている人たちなのだ。
むしろ現実の問題として、銃を規制したからといって銃を使った犯罪がなくならないのは日本での例を見ても明らかだし、銃がなくても大量殺人・無差別殺人は可能だということを示す例はいくらでもある。ナイフ・爆弾・自動車、殺傷能力に差はあっても危険であることの有意差=危険度の差は、それほどないのではないかと思わざるを得ない。
今回の事件は、コロンバイン高校での事件の規模を越え、アメリカでは史上最悪の銃犯罪事件ということになるらしい。
またいつものパターンになってしまうとしても、こういう事件を契機として、「自分たちに、本当に銃は必要なのか?」と結構本気で議論するアメリカ人たちはけっこう大したものなのかもしれないと思う。
アメリカ人にとって、銃犯罪の対策として銃規制を検討する、ということは自分たちのアイデンティティを問い直す行為に近いはずだ。
日本人が「本当に原発は必要なのか」という議論をするとき、リスクが顕在化したときの被害の規模からすれば、アメリカ人の銃規制議論より、もっと真剣で真摯な態度が求められると思うのだけれど、どうだろう。そうなっているだろうか。
日本人としてのアイデンティティを修正してまでなくすべきなのかどうか、というところまでは、踏み込めていないのではないだろうかと、思わざるを得ない。

Re: アメリカの銃規制 - うじょー

2013/02/03 (Sun) 18:37:25

「自分の皮膚から1ミリでも外へ出られない限り、人間の本質は変わらない」
これは、三島由紀夫がどこかで書いている事ではなくて(書いているのかもしれないけれど)、澁澤龍彦がなにかのエッセイで、「人間の本質は、変わると思うか」(記憶不鮮明ながら「文明の進歩や技術の発達によって」みたいなマクラが付いていたような気もします)という問いに対して、三島がそう応えたと紹介されていたものです。澁澤のエッセーには三島はちょくちょく出て来るので、どれだったかはちょっと調べないと分かりませんが...。

たしかに本質は変えられなくとも、振る舞いを変える事はできるかもしれませんね。
しかしそれにしたって、中国やら中近東・アフリカで怒っている事やら、足元のワラクシたち日本人の日々の行いを見ていると、なかなか難易度は高そうに思いますねえ...。

Re: アメリカの銃規制 - きむら しんいち

2013/02/03 (Sun) 16:55:57

「自分の皮膚から1ミリでも外へ出られない限り、人間の本質は変わらない」
 この出典って三島由紀夫の何ですか?

 さてさて、本質が変わらないというのと、理性で行動を制御しきれないというのは、たぶん、同じことではないと思いますよ。

 たとえば中年になっても老年になっても、個人の本質は変わらない。爺様や婆様のなかには十歳やそこらの年頃の子供たちの心が、やっぱりどこか息づいていたりするものだと思います。

 しかしそれは、成人としての責任を負い、社会生活を営むに足る自律的な規範を体得できないという意味では必ずしもない。本質は変わらなくても、作法や規範は次第に板に着いてくるということはあるでしょう。

 人類は、ヤング・アダルトの名にふさわしく成長しているといえるだろうか。そういう懐疑や悲観をいだかざるを得ないとしたら、というよりむしろそうであればこそ、せめてヤング・アダルトとしてのそれなりの成長を果たそうと自覚したほうがいい時期には来ているのではないかな、なんて思うのですが。

Re: アメリカの銃規制 - うじょー

2013/02/03 (Sun) 15:12:15

ヤング・アダルトと言えるほど、成長しているのかなあ...。
若干なりとも成長したように見えるのはうわべだけで、人間のメンタリティの本質は、大昔からまったか変わっていないのではないか、と思います。この点では、ワラクシはかなり懐疑的かつ悲観的ですね。

「自分の皮膚から1ミリでも外へ出られない限り、人間の本質は変わらない」
と言い切ったのは三島由紀夫だそうですが、三島嫌いのワラクシも、これには、そうかもなあ、と思わざるを得ません。
肉体に縛られている限り、理性で行動を制御するには限界があるのじゃないでしょうかねえ。

Re: アメリカの銃規制 - きむら しんいち

2013/02/03 (Sun) 11:10:21

暴力に伴う快感は、それによって何かが得られる(社会的評価だったりその抽象としての得点だったり記録だったりするかもしれません)という達成感ないし獲得欲求の成就なのかもしれません。攻めることで食料や繁殖の機会を獲得しやすくなったということはありえたでしょうね。

被征服欲のほうは、動物集団としての群れのリーダーに従う傾向を促進したのではないでしょうか。群れが統率されやすくなれば、ひとりひとりでは弱かった人間も、外敵に対してより強化された防御を得たでしょう。

暴力にしても被征服欲にしても、それらに快感をより強く感じる個体ないし個体集団は生存競争により勝ち残りやすかったということがあったと思います。そうしたフィードバックが繰り返され、嗜好が篩にかけられることで、生理学的な回路が発達し、本能的なからくり(情動)の一部として受け継がれてきたわけでしょう。こうした機能は、脳でいえば、大脳辺縁系(原皮質や古皮質と呼ばれる部分に分かれる)に組み込まれているようです。

そうした組み込みの機能によって、端的には激情にかられて後先を考えずに行動するようなことが起こる。それは緊急事態においてとっさの行動をとらせるわけで、迅速さがなににも増して必要な場合には、一概に不都合なものともいえないとは思います。けれども、ときにはそれが後悔の種にもなる。

しかし人間は、大脳辺縁系を取り巻く新皮質の発達に現れているような、シミュレーション、論理演算、言語操作などの能力を獲得してもいる。だから古い皮質が命じる情動だけに支配されず、新しい皮質による理性的な判断と長期的展望に基づいた行動とのバランスをとることもできるはず、ですね。種としての人類が今後数千年/数万年と長期にわたって延命するためには、そうすることが必要でもあると思います。

たぶん、いまの人類は、まだ力は大人になりつつあっても行動はまだ幼年期にしがみついているヤング•アダルトというところなのかもしれません。図体(世界人口)は大きくなって、力もかなりついてきた。もはや幼い頃のままの情動を振り回すと家のなか(地球環境)が荒れてしまうような時期にはなってきた。そういう意味では人類は思春期を迎えつつあるのかもしれません。情動を自律的に抑制し、バランスの取れた行動をとれるようになる切り替えの時期=人類の思春期を無事に乗り切って、自殺したり非行に走ったりせずに、ちゃんと大人になれるといいなと願っています。

Re: アメリカの銃規制 - うじょー

2013/02/02 (Sat) 17:04:11

ふむ。
暴力には、もうひとつ重要な側面として、誓った本人に有利に働いた場合に、人間に快感を与えるという特性もありますよね。肉体的にもそうだし、精神的にも、征服欲だったり勝利欲みたいなモノと結びついていると思う。実感として。
スポーツの世界に暴力が親しみやすい理由はそこにあるだろうし(欧米でも、NBAやMLBでは乱闘ありがちだし、ジダン退場事件を引くまでもなく、スポーツ界と暴力は関係が密です)、人間がなかなか暴力と手を切れない理由もそこにあるのでしょう。
またやっかいなことに、人間には被征服欲(大きな意味でのマゾヒズムと言って良いのかな)もある、ときているものだから、どんどんハナシはヤヤコシクなっていきますなあ。

Re: アメリカの銃規制 - きむら しんいち

2013/02/02 (Sat) 13:50:28

「暴力でなけりゃ伝わらない事、ある」と考えている人が一定数以上いる、ということ自体は、そんなに意外なことでもないと思いますよ。

「殴んなきゃ分かんねーよーなバカ」というのは、言葉の上でのレトリックなら、粗野な言い方だなと思うくらいですが、実際に「わからせるためには殴るしかない」と考えて実行してしまうとしたら、それはやはり愚行の謗りを免れないでしょう。必要なのは「わからせること」なのに「殴ってしまう」というのは、故障したテレビを「叩けば治る」と言いながら叩くのと同じようなもの。多少の実効性は確かにあっても、実際には過剰だし、不適切でもある。

「愛のある体罰」というレトリックには、たとえそれが実際に愛に基づくと信じての行為であったとしてもそんな形でしか愛を表現できない哀しさが露呈しているように感じますね。「幻想だ」と糾弾してもそれだけでは愛の発露はやまないでしょうから、それよりも、体罰よりももっと素直で効果的に「愛を表現しながら適切に行動を導く方法」を実践できるように、再訓練を受けてもらうほうがよいのではないかなと思います。

 暴力は、ええ、たしかにコミュニケーションの一種ではあるでしょう。背に腹は代えられないという状況も、実際にはやはりあるでしょう。無能を感じれば、最後の避難所として暴力に逃げ込みたくなるものではあるのかもしれません。しかし、それは賢明なコミュニケーションの方法とは言えません。

 現代においても、実際「暴力はノスタルジーではなく現実解だ」と考える人や状況はまだまだ横行していると思います。

 それは手近にゴミ箱がないときに人の家の塀の上にそっと空のペットボトルを置いていく通行人や、雨の日に他人の傘を「ちょっと借りて」いく人と同じように、さほど悪びれもせずになされてしまうことなのかもしれません。

 あるいはもっと切迫した状況、たとえば子供がまさにいま自分にとってもっとも有効で現実的な手段として暴力に頼るしかないと追いつめられ、藁をもつかむような気持ちで発動する暴力や、憤懣やるかたない理不尽への怒りを爆発させるのと同列と言えるかもしれません。

 そしてそこには確かに、なんとしてもどうにかしたいという気持ちや、ちょっとしたずるをすることへの誘惑、思いがけない力を得ることへの陶酔があるのかもしれません。

Re: アメリカの銃規制 - うじょー

2013/02/02 (Sat) 12:26:55

いろいろと、示唆に富んだコメントだと思います。
赤ん坊のジタバタが、暴力ないしは実力行使の一種だと考えるなら、これはうじょーが個人的に、おそらく日本文化の体罰容認の基底にあるのじゃないかとないかと疑っている「暴力だって、コミュニケーションの一種だ」という考え方と、相通ずる部分があるかも知れません。きむらくんは、赤ん坊が成長するに従って、実力行使というコミュニケーションは許されなくなる、と考えているワケですが、世の中には意外と「暴力でなけりゃ伝わらない事、ある」と考えている人が多いのかも知れません。
「殴んなきゃ分かんねーよーなバカ」はいるかもしれない。
「愛のある体罰」は幻想だと思いますけど。

あと、暴力へのノスタルジーって、面白い言い方ですね。
成長を遂げた理性的な人間からすると、成長過程で過去の手段であった暴力はノスタルジーの対象ということになるのでしょうか。
しかし現実問題として、いろんな意味で実力的に「強い」者から見れば、「弱い」者から合意を取り付けるのに暴力という手段は一番手っ取り早い、ということがありますよね。だから、強いものにとっての暴力というのは、ノスタルジー以上に執着の対象になり得るんじゃないでしょうか。
「指輪」みたいな?

Re: アメリカの銃規制 - きむら しんいち

2013/02/02 (Sat) 11:44:13

どこまでが許されるかのライン、つまり境界線の引き方の違いでしかないのはそのとおりかもしれません。ただ、現実的にはラインは線ではなく、ぼんやりした帯であって、境界線上の事象というのがいっぱいある。そればかりではなく、そのライン自体が時代とともに移ろうという側面もある。社会の豊かさや高度化とともに、ライン自体が変遷する。

たとえば暴力。

赤ん坊は、問題があると激しく泣きわめいて手足をふりまわし、なにごとかを訴えます。いわば周りに迷惑をかけるわけで、これは一種の実力行使です。その実力行使により、周りの大人たちは赤ん坊に問題があることを察知し、対処します。あまりにもおとなしい赤ん坊は世話を受けることができません。このシステムは、実力行使に対して報酬を与えます。このような状況下では、往々にしてそうした実力行使は正当化されます。

しかし、赤ん坊はやがて言葉を覚えます。それによって自分の問題を効率よく伝え、より的確な支援を得ることができることに気づきます。子供時代を通じて、言葉は次第に洗練され、新しい、より強力な力となります。その結果、泣きわめいたり手足をふりまわすような機会は大幅に減ります。それと同時に、正当化され許容されるライン、ハードルは高くなります。赤ん坊に許された泣きわめきや手足のふりまわしは規制されます。大人になるにつれて、心情は理解されても実際の「実力行使」は許されなくなります。

これが赤ん坊にとっての成長。暴力へのノスタルジーはけっして完全に消えたりはしませんが、だからといって正当化されるものでもなくなります。喧嘩よりも威嚇、威嚇よりも論争、論争よりもコンペが、より消耗なく問題を解決に導くことが理解されるようになります。

おそらくは、個体の成長に似た成長が、人類の集団、社会にも期待できるのではないか。そんなふうに思わなくもないのですが、同時に、まだまだ先は長いかなとも思います。

Re: アメリカの銃規制 - うじょー

2013/02/02 (Sat) 10:14:05

まあ時節がら、どうしてもハナシがそっち方面に寄って行くんですけれど、
核兵器を含めた兵器全般や、軍事力だとか、もっと広げて暴力をどこまで規制するべきか、あるいは許されるべきか考えると、
これは根本的に体罰だとか、なにがしかのガバナンスを維持するための実力行使をどう考えるか
という問題と丸重なりしてしまいます。
ここまでは良いけど、ここから先はダメ、とどこかにラインが引けるものなのか、
全部ダメにして(ガンジー的に?)暴力そのものを排除できるものなのか
難しい問題です。
ここ数日、欧米人がテレビに出て「体罰あり得ない」とかしたり顔で行っているけれど、
あれは単に文化が違うだけで、連中は「敵」と見做せば暴力だろうが人権侵害だろうが
なにやっても構わない、だってアイツら敵なんだもん的な文化に住んでいるので
決して暴力そのものを否定してる訳ではない。
単に、ラインの引き方の違いにすぎませんね。

Re: アメリカの銃規制 - きむら しんいち

2013/02/02 (Sat) 09:44:01

そうですねー。

核兵器は究極兵器というには役不足、というのはそのとおりだと思います。「核」はシンボルとして提示しただけで、要するに地域社会や一国家の小さな問題を人類とか宇宙の大きな問題にまで拡大するような、SFお得意の極端に走った想像(外挿)をしてみるのもおもしろいと言ってみたかったんです。

「兵器の開発自体を規制する」という命題は、一見して無理じゃないかと思わせそうなところがなかなかおもしろいですね。物理的破壊力それ自体は、かならずしも「兵器」ではない。人類というひとつの生物種内での殺しあいに使われれば「兵器」と呼ばれるけれども、物理的破壊力にはそれ以外にも利用価値があるわけですからね。

物理的破壊力は、たとえば土木工事(はては惑星改造とか銀河改造とか)のような建設的な目的にも有用だし必要ですね。核兵器にしても「兵器」だから問題なわけで、ダイダロス計画みたいに、平和的建設的な利用方法がないわけではない。原子力発電が問題とされるのは、反応の制御や燃料の取扱いや持続的な再利用方法や効果的な廃棄方法のようなあれやこれやが十分でないからでしょう。そこに、それでも利用を強行するか、さもなくば永久に諦めるかなんていう両極端の主張がなされてしまう。

「兵器」について言えば、そもそもは、権利の主張としての暴力、政治の延長としての戦争が、その手段としての兵器を求めること自体が、問題解決手段としてまだまだ洗練されていないだけなのかもしれませんね。「兵器」としての目的に特化して設計された道具を、個人の自衛手段として認めようとすること、あるいは個別国家の自衛手段として認めようとすること。言い換えれば、いざというときの手段の日用品化。それは、人類の社会的な未熟さを表すものなんじゃないかなと思います。

Re: アメリカの銃規制 - うじょー

2013/02/02 (Sat) 05:29:10

うかつにも、書き込みもらっている事に気がついていませんでした。
ごめんなさい。ありがとう。

言いたい事は、分からないでもありませんが、
「核を持つ事は、人類のアイデンティティ」とまでは、言えますかね。微妙です。
「核兵器のような、他国(他群)を圧倒する強力な兵器を常に持とうとする事」
が人類のアイデンティティに根ざしていると言われると、そうかなと思いますけれど。
核兵器は決して最終兵器と言う事ではないだろうし、もしも、規制でなくともなにか別の制約や理由で核兵器がこの世からなくなっても、いずれ誰かがまた別の大量破壊兵器を思いつくような気がします。
仮に「兵器の開発自体を規制する」ということならば、これは根本から人類のアイデンティティに挑戦する命題になり得る、と思いますけど。
アメリカ人と銃との関係は、そのくらい深い、みたいなことを考えたもので。

Re: アメリカの銃規制 - きむら しんいち

2013/01/12 (Sat) 23:02:22

銃を持った24才の白人男性が起こしたその事件では、12人が死亡・50人ほどが重軽傷を負った。

銃なしでもそれほど深刻度の変わらない事件になったかということを考えるとき、思い起こされるのは、たとえば2008年の秋葉原で起きた加藤智大(当時25歳)による通り魔事件。死亡は7人、負傷は10人。銃の代わりに使われたのは2トントラックと両刃ナイフ。たとえば2001年に大阪教育大学附属池田小学校で起きた宅間守(当時37歳)による無差別殺傷事件。死亡は8人。負傷は15人。銃の代わりに使われたのは包丁。

この被害者数の差が銃の威力だとすれば、銃は死亡者を1.5〜1.7倍に増やし、負傷者を3.3〜5倍に増やしたことになる。これをそれほどの違いではないとみるかどうかは、自明とまでは言えないだろう。しかし、銃は有意に被害を拡大するとは言えるかもしれない。

ここで、話をもっと極端に進めてみよう。

「核兵器を規制したからといって核兵器をちらつかせた外交がなくならないのはこれまでの歴史を見ても明らかだし、核兵器を使わなくても戦争は可能だということを示す例はいくらでもある」とも言えそうだ。

人類は核エネルギーを発見し、核兵器を持てる唯一の生物種だ。核を持つことは人類のアイデンティティであると言えるかもしれない。

ならば核を規制すべきだろうか。それは人類のアイデンティティを修正してまでなくすべきなのか。将来、人類もいずれは滅亡するものならば、単純な自然災害や平凡な天文学的事件によるものなどでなく、核燃料施設の暴走や核戦争による自滅こそふさわしいのではないのか。…などと考えると、SFチックで興味深い。かも(?)

Straits Flashの感想です。 - 社長

2012/06/19 (Tue) 20:51:06

 謹んで、感想を書かせていただく。
 まず、立て続けに二つの作品を完成させたその努力に敬意を表したうえで、感想を書かせていただく。しかしながら、ご存じのとおり、これは売れるか売れないかの当落線上でウロウロしている商業作家の汚れた目線だ。だからきっと、正鵠を射ていないことを書くと思う。
 それを許していただきたいと言ったうえで、感想を書きたい。
 まずは、実際に体験した人間でなければ書けないことを、豊かな表現力で著すその筆致は、前作と比べようがないほど(あえて言わせていただくが)「回復」していると思う。
 雨城翠、死なずというのを、改めて感じさせていただいた。
 読み物として、大変おもしろかった。特に、後半は筆も乗ってきたのか、忙しいなかだがどんどん読めた。はっきり言って次作が楽しみなできばえだ。
 とまあこのように、褒め殺ししてもしょうがないと言ってくるのだろうから、一つだけ苦言というか批判をさせていただきたいと思う。

 それは、物語の分量だ。
 実は、この部分の確信がもてなかったから、前半での感想を控えさせていただいた。前半でこれを断じると、冗長と思われる部分が、じつは後半への重要な伏線になっている可能性だってあるからだ。
 ズバリ、この物語でこの分量は、なかなかの肥満児だと思う。
 この量は単行本で言うと2~3巻ぶんに相当するので、読者としても読むのに気合いがいる。で、この量がこの物語にふさわしいかと言うと決してそうではなく、はっきり言って、社長が楽しく読んだ雨城ブシのなかに、冗長な部分がなかったかと問われれば、否定できない。つまり、これは書く側にとって大変に苦しいことだが、物語るなかでは、自分が書きたいた書きたくないかで、文章の量を変えるべきではないと思うのだ。

 以上が言いたいことの全部なのだが、それでは言葉足らずなので、もう少し書いてみる。

 量を増やしている一番のポイントは、途中に80年代ネタ、あるいは東南アジアマメ知識がある程度のカサをもって入ってくることが関係しているが、これらが物語を割って侵入し、違和感を生じさせてしまっていると思うのだ。
 例えば、船を凄いスピードで走らせるためのウンチクは、船で誰かから逃げるときに披露すべきではないだろうか。そのように、物語のなかで披露されるいろいろな『語り』が、それを読者に語りかける必然がない状況で、ゴロリと入ってくるので、言い過ぎかも知れないが、作者(神)のせりふが聞こえてしまい、結果として一人称の破綻さえ感じさせてしまっていると思う。
 分量のコントロールが難しくなっている関係で、ドラマの行程が遅々として進まない。実際に拳銃をもった相手が現れ物語が動きはじめるのは、ほぼ後半になってからだ。
 社長は前述した雨城ブシや雨城が出張先でどんなことをやっているのかという目線で読ませていただき、それなりに楽しめたが、一般の読者はそうはいかないのではないか。どんな小説かと思って読みはじめて、文庫本換算1巻を読んだ時点で、キャラ設定と舞台の説明が終わりでは、2巻に手は伸びないのではないか。

 このように、書きたいことを書くために、書けることを書かず、書きたくないことを書くというのはもの書きにとって、大きな命題だと思うのだ。
 前に東京に行ったとき話したと思うが、
読者-作者-作品
└─────┘
 社長はこの三つの距離が、正三角形を呈したとき、はじめてバランスのいい小説できると思っている。
 ひるがえって、この小説は、作者と作品・作者と読者の距離が極めて近く感じるのだ。実のところ作者と小説の距離はただでさえ近くなりがちだ。しかし、この距離が近くなりすぎ客観の部分を見誤ると、爆発的に筆が進んだり、遠くなり過ぎると、小説がまるきり進まないことになるため、距離の調節というのは極めてむつかしい。しかも、この三角形のくずれた作品にも名作はあり、それが悪いと断じきれるものでもない。

 雑多なことをいろいろ書いたが、どうか気を悪くしないで欲しい。
 ただ、社長は「俺はこう感じたんだからしょうがないだろう? 俺は読者だ、作者はどんな感想でも黙って聞け、文句があるか」という主旨の感想が嫌いなので、こういうなんというか、立ち入った、ともすれば辛辣な感想になったことをお詫びしたい。

 なんだか、掲示板アラシのような感想になってしまい。申し訳ない。
 次作、「その子」も楽しみにしております。
 それでは。

Re: Straits Flashの感想です。 - うじょー

2012/06/30 (Sat) 22:56:06

社長さんのせっかくの感想が下に沈んでいると寂しいので、
アゲておく。

Re: Straits Flashの感想です。 - うじょー

2012/06/19 (Tue) 21:41:08

社長。感想ありがとう。

締め切りを抱えて、たいがい忙しい中、読んで貰ったのみならず
貴重なご意見まで長文で頂けるとは、恐悦の至りです。
ご指摘頂いた箇所は、いちいちもっともなので反論のしようもないし、
◯夢からも似たような事は言われているので
(長い、という指摘はなかったが「浮いている部分がある」みたいな事ね)
◯夢と社長から送られた金の塩だと思って、甘んじて受け入れる。
要は、バランスだよねえ。...難しい。
しかし、せっかくもらった批評がムダにならないよう、精進致します。

そういえば、震災直前に社長がウチへ来た時、ちらっと「その子」の
話をしたよね。
あの時は、もう「モビー」を書き始めていたけれど、まだ終わらせる
自信がなかったので「書いてるぞ」って言えませんでした。
今は言えるぞ。書いてるぞー。
次も、ドカンと行くぜーい。

熱波 - うじょー

2012/06/30 (Sat) 22:54:46

とにかく暑い、ということは記録しておかなければならないと思う。
外気温が人間の体温を超えると、風が吹いても涼しくはなく、暑苦しいだけになる、ということは、だいぶ以前に真夏の京都やインドネシアのスマトラ島でも経験したけれど、いやマジで「エアコンないと死ぬ」というくらいの暑さ。数年前から、欧米に夏になると熱波が襲ってきて死者も出ている、というニュースは聞いたことあるけれど、これがその先駆けというわけなのでしょう。まだまだ夏は序の口のハズなので、7月8月はもっと酷くなるはず。
来週はメキシコまで移動する予定だけれど、メキシコなんてどんだけ暑いのかと思ったら、むしろこっちより数値的にはやや涼しいくらい。どーなってんでしょう。
とにかく、熱射病対策を万全にして、もうもう、できるだけ日中は外に出ない。
寒いよりはマシなのかもしれないけれど、それにしても...。

風夢 - うじょー

2012/06/25 (Mon) 10:38:18

掲示板アラシ、まだ来ませんんね...。
(特にアラシて欲しいと言ってるわけではありませーん)

出張先であまりすることがないので、「その子」を書き始めていますが...。
ハナシのテンションが高すぎて、なんか付いていけないというか、なんというか。社長さんに「ちゃんとコントロールしれ」と言われたばっかりなのに、前途多難な感じですなぁ。
ま、ぼちぼちやります。

洗濯をしました。
夏の洗濯、といえば斉藤由貴。アルバム「風夢」です。
あれはたぶん、1988年か89年の7月、下宿先の中庭で、全自動ではなかった(2槽式という意味ですが、今の若い人たちには分からんでしょう)洗濯機で洗濯をしていた時、青空から降ってきたように脳天を貫いた幸福感。窓を開けていた自分の部屋から流れていたのが、「風夢」の一曲目"One"でした。
あまりにも唐突で脈絡がなくて、いったいその感覚が自分にとってどんな意味があったのかも未だに分からない(これを言葉で説明して人生の中にきちんと位置づけることができるなら、宗教家になれそうな気がする)。だから、学生時代のけっこーコアな体験を下敷きにした「モビー」にも、入れることができなかった。
けれど、絶対に忘れることはできない記憶なので、未だに真夏に洗濯をしていると、斉藤由貴が聞きたくなる。
クリスマス = マライア・キャリー(恋人たちのクリスマス)
雪の降らない冬の寒い夜 = 秘密く・だ・さ・い
カラオケ = Be My Baby
などなど、うじょーのアタマの中でシチュエーションと分かちがたく結びついている名曲は数々あれど、アルバム1コ丸ごと、というのは「風夢」だけ。ちょうど洗濯1回分の長さにマッチしている、ということもあるのかなあ。
「MAY」「砂の城」「ひまわり」といった名曲揃いの1枚ですが、どうしてもワタシは1曲目の「One」が好き。
こういうサウンドの曲が、いまはもうなかなか出なくなったよねー。

URL再変更 - うじょー

2012/06/10 (Sun) 23:10:16

HPの新URL、下記です。
暫定になるかもしれませんが。
  ↓
http://ujohmidori.blush.jp/above/Welcome.html


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